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72回目の終戦の日

あら、なんだか真面目なタイトル。

72年間、日本が戦争に巻き込まれることがなかったことはただただ感謝です。

でも地球のどこかで今も宗教や政治などの考え方の違いで戦争が起こっている現実もつらいし悲しいことです。

 

戦争を体験した人からその時の話を聞いたことがありますか?

私は小学校5年か6年くらいの時に聞いた話が今でも忘れられないです。

 

1941年日本が戦争に巻き込まれていった時、みーさー少年は9歳。当時の不穏な雰囲気の日本の状況を子供ながらによく覚えてます。戦争なんかしないほうがいいにきまってるとわかっていてても、止められない世の中の雰囲気にどんどんのみこまれていく大人たち。不安で何とも言えないいやな感じです。

参戦した日本の戦況は始めは優勢でした。でもだんだん雲行きがあやしくなってきます。国内も空襲にあいたくさんの人が死んでいます。1944年から1945年にかけてみーさー少年が住んでいた地域も度々空襲に襲われました。

みーさー少年は空襲警報が鳴ると家族のだれよりもまっさきに起きて防空壕に逃げます。いつも一番最初に防空壕に逃げ込んで、一番奥でうずくまってじっとしています。警報が解かれて外に出る時には汗まみれになり、うずくまっていた身体のあっちこっちが痛くなっていました。 

その日の夜も空襲警報が鳴りました。みーさー少年はさっと起きて防空壕までひたすら走ります。いつも逃げ込んでいる防空壕に入ろうとしたら、この日に限って人がいっぱいで入れません。「早く違う防空壕に逃げなきゃ…」警報が鳴る中少し離れた防空壕までまたひたすら走りました。

そこはまだ人がいなくて無事入ることができました。この日の空襲は何時になく激しいものでした。頭を抱えて、米軍機が去るのをひたすら…ひたすら待ちます。警報が解除になりました。みーさー少年はやっと外に出れた開放感でちょっとホッとしました。 「家に帰ろう。」

家に帰る途中、最初に逃げ込もうと思った防空壕の前を通りかかりました。ひどい爆撃を受けてます。

「まさか、みんな死んじゃったの?」みーさー少年は家に向かって走り出しました。家は空襲にやられていませんでした。家族も無事でした。でも逆に家族みんなはみーさー少年が生きていたことに驚愕です。

みーさー少年がいつも逃げ込んでいた最初に入ろうとした防空壕は爆撃にあい、中にいた人たちは全滅だったのです。空襲が解除されてもなかなか戻ってこなかったので家族はてっきりみーさー少年はもうだめだ、と思っていたのです。

もしその防空壕にいつものように一番に逃げ込んでいたら…?ひとり分でも入る場所があったら…? 「自分も死んでたんだ…」

 

その後も何度も空襲がありました。それでも日本は勝つと大人が言ってます。

でも11歳になったみーさー少年は「きっと日本は負けるんだな」と心の中で思っていました。でも絶対に口にはできません。

負けるに決まってる、と口走ったお兄ちゃんはお父さんからものすごく怒られていました。

実はこのみーさー少年は私の父です。まぁ父の話だから記憶に残っているのですね。

 

当時父が戦争体験していたことを初めて知り、空襲で死んでいたかもしれないと聞いて「もしいつもの防空壕にいたら死んでいたかもしれないし、そしたら私は存在しなかったってこと??」と考えたらものすごくゾワっとしました。

 

小泉元首相の郵政解散後の総選挙で、ニュースでは小泉さんに熱狂する民衆をよく流していましたが、それを見た父がボソッと「日本人はなんも変わってないな…」と言いました。私は、ん?と思い「どういうこと?」と聞いたら、「戦争が始まった時とよく似てる」と。

この時も父の何気ない言葉なのですが、日本は気を付けないとすぐ空気に流されるんだな…と思いちょっとこわくなりましたが、「流されない」という大切なことも教えられたように思います。

自分はちゃんと意志を持って生きよう、大切なことを見失わないようにしようと。そうじゃないとこれからの子供たちに申し訳ないですから。

 

戦争は勝っても負けても何一つ良いことはない。

戦わないという選択を取り続けられる日本であるよう願ってます。

 

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